私は現在、教育学部に通っている大学生なのですが、最近こんなことをよく思います。
「人に何かを教えることは好きだけど、自分に今までの学生生活を振り返った時に、学校はそんなに好きではなかったな。」
なぜ学校が好きではなかったのか?
その答えは単純で、学校の勉強が嫌いだったからです笑
同じような経験を持っている方もいらっしゃるのではないでしょうか?
歴史の年号や、古文・漢文など色んなことを学校では教えますが、私は、そんなもの覚えたって受験以外で使う日はないだろうと考えていました。
もちろん、学校の勉強の中で、政治や日本国憲法、足し算引き算など知っておかなければいけないものもあります。
しかし、半分以上は使わない知識ばかりなのではないでしょうか?
なんで、将来使われもしないようなことばかり覚えされられて、テストを受けなかればいけないのだろう?
ずっとこんなことを思いながら、小学校〜高校の間を過ごしていました。
そんな私の疑問に1つの答えを教えてくれる本と出会いました!
それがこちらです!
堀江貴文さん著の『すべての教育は「洗脳」である』です!
学校は洗脳機関である
この本の中で堀江さんは、学校は洗脳機関であると言っています。
初めて読んだ時に、なるほどなと思いました。
毎日同じ時間に始まって、将来使わないよなことをひたすら勉強させ続ける。
なぜそんなことをする必要があるのか?
堀江さんは、従順な労働者を作るためであると答えている。
従順で理不尽なことにも耐えられる、そんな働き手を作るためである。
これは、自分には考えつかなかった新しい視点だなと思いました。
新しい視点というよりも、学校に通うのが当たり前という環境に置かれていては、絶対に思いつくことができないことですね。
よく考えてみると、学校にはよくわからない校則がたくさんありました。
靴下の色の指定、髪の毛の長さ、学校に教科書を置いていってはいけないなど、あげればきりがないほど、理不尽な校則がたくさんありました。
これらも、従順な労働者を作るための1つの方法といえるでしょう。
なぜ1歩を踏み出せない人が多いのか?
最近の若者は、考える力が不足しているとあらゆるところで聞くが、原因はこの学校教育にあるのだろう。
多くの理不尽な校則、授業などで固められた環境で小さいことから生活していれば、自分で考える力が失われていくのは当然である。
子供たちは、自分のやりたいことを押し殺してまで、将来使う可能性がほとんどないことを勉強させられる。
あたかも、学校の勉強することだけが、学校に行くことだけが成功への近道であるかのように。
こんな環境で育っていれば、自分の本当にやりたいことを見つけた時に、それに向かって1歩を踏み出すことができなくなるのは、当然である。
今まで、自分のやりたいことを押し殺さなければいけない環境にいたのだから。
よく、ゆとり世代は言われたことしかできないと言われることがあるが、それは言われたことしかできない環境で育ってきたからなのではないか?
また、人間は生まれながらにして、周りと同調することを好む傾向がある。
多くの人が、学校に通って、理不尽な教育に耐え、就職しているのだから、それ以外の道に進むのが余計怖くなってしまう。
学校とは、本当によくできた洗脳機関だ。
しかし、皆が同じような道をたどっていれば、ある程度安定した生活が手に入るような時代はもうすぐ終わるだろう。
新しいテクノロジーや人口知能の発達により、将来今ある多くの仕事はAIや機械にとって代わられるだろうと言われている。
その時、我々は生きるためにどうすればいいのか?
その答えは、学校教育の中にはおそらくない。
学校の勉強は本当に不必要なのか?
ここまで、学校教育に批判的に書いてきましたが、私は学校で学ぶ科目について反対しているわけではありません。
私は、学び方に問題があると思っています。
例えば歴史について考えてみると、本当に大事なことは年号や人物、戦の名前ではない。
歴史を学ぶ本当の意味は、過去に起こった出来事から、彼ら彼女らの経験を学ぶことであると私は考えます。
よく歴史は繰り返すという言葉を聞く。
だったら、年号や戦の名前を覚えるよりも、どうしたら同じ失敗を繰り返さないのか、今ある問題を、歴史をヒントに解決することはできないのかといったことを学び、考えた方がよっぽど有益だと思います。
国語にしても、古文漢文を読むことは学者や研究者でもない限りほとんどないでしょう。
大事なのは文法や返り点などを覚えて読めることではなくて、その文章から昔の人がどのように考えていたのか、またはその教訓を知ることなのではないのか?
現代文にしても、よく問題で下線部から登場人物の心情を読み取りなさい、筆者の考えを述べなさいといったものが出題されるが、私はこれらが嫌いです。
文章を読んで感じることは人それぞれ。
それなのに、その解答にわざわざ点数をつける。
大事なのは、その文章を読んでどう感じたかといったことではない。
どうやったら模範解答を書くことができるのかということである。
これでは本を読む子供が嫌いな子供が増えるのもわかります。
なぜ文章を読んで感じ取ったことまで、模範解答によって統一されていかなければならないのか、私には理解できない。
例を挙げていたらきりがないが、これらを考えていると、勉強嫌いな子供が多いのは当然だろうと思います。
もっと、勉強は自由であっていいのではないのか?
別に学校で学ぶ科目だけではないくてもいい。
むしろそのほうが将来のために役に立つ可能性は高いと思う。
私は、たまたま英語が好きで勉強しているが、好きなこと、没頭できることは人それぞれである。
勉強することは本当に楽しい。
大学に入って、英語の勉強を始めてから初めて思えるようになった。
しかし、今の学校教育では、勉強が楽しいと思える子供を増やすことはかなり難しい。
多くの人は、勉強はいい大学に進学するため、いい会社に就職するためといった将来のためにだけにしかやってきていない。
だから、受験から解放された多くの大学生はほとんど勉強しないし、職を手にした多くのサラリーマンは勉強をしない。
それは勉強=つまらない、苦痛なものだと思っているから。
学校という洗脳機関から卒業した人たちは、わざわざ勉強といった苦しいことをしようとは思わない。
もちろん、中には昇進のため、別の仕事に就くため勉強を頑張っている人もたくさんいる。
しかし、その多くの人も自分の目標が一旦達成されてしまえば、勉強をやめてしまうのではないか?
正直、他の人間が勉強していようが、していなかろうが私には全く関係がないです。
しかし、自分がこの先結婚をして運良く子供を授かることができた時、もし日本の教育が今のままだったら、日本の学校には通わせたくないなと思ってしまう。
だったら海外いけよ!という話ですけどね笑笑
時代が大きく変化していく中で、学校もやはり大きく変わるべきなのではないか?
それは、英語教育やプログラミングなどを授業に取り入れていくことだけに止まらず、子供たちに教える内容そのものを変える必要があると、私は考えます。
正直、今のままでは学校の授業もAIにとって変わられれような気がしてなりません。
ここまで長々と読んでいただき、ありがとうございます笑
この本には私が取り上げたこと以外にも、これからの社会でどのような人材が求められてくるのか、学ぶこととは何かについて、非常に詳しく書いてあります。
興味がありましたら、ぜひ読んでみてください!
ではでは。